「藺藤、入るぞ」
 その声をかけて月夜の部屋に入った教官は部屋に溢れている瘴気に眉を寄せた。なるべ
く息を吸わないようにして窓を開け放つと空間のほころびが見つけられた。そこに無理や
り式神を入れると探索を命じて月夜の具合を見た。
「まったく、瘴気があるぐらい気づけ」
 溜め息混じりに呟くと月夜の周りに揺蕩う瘴気を一気に払って眠っているらしい月夜の
額に手を当てた。汗が滲んでひんやりとしている。汗をぬぐい体の中に瘴気がないかを調
べてまた溜め息をついた。
 しばらく月夜の隣に居てその寝顔を見ていたのだが、やがて教官は月夜の部屋を出て、
また執務室に戻った。
 月夜の尋問が行われたのは翌々日の事だった。
「お前は白空に会ったのか?」
 まっすぐな視線が月夜を射る。月夜はまだ蒼い顔をしているが気を張っているのだろう、
いつもの無表情で無感動にそのまっすぐな視線を受け止めていた。
「はい。一昨日の下校中、夕香に接触を図ってきました。報告が送れ申し訳ございません」
 腰を直角に折って頭垂れる月夜に教官は溜め息をついて顔を上げろと顎でしゃくった。
「まあ、いいとする。何か言っていたか?」
「……近々面白い事が起きる。人と妖の争いが、と。この場合の面白いはろくでもないと
いう意味でしょうけど」
 肩をすくめる月夜に教官はまた溜め息をついた。月夜は次の言葉を待つように逆に教官
を見返した。
「……、とりあえず、日向は科内に命じて水神沼に連れて行った。あそこならば神気も霊
力も補う事ができるからな。これがすんだのであればお礼参りでも言っておけ。あの神は
菓子は好かん。酒の一本でも持っていく事だな」
 それは嵐から聞いていた。頭を垂れて一礼すると月夜は堪えきれずに溜め息をついた。
「辛ければ座ればいい」
 その言葉にまた一礼してソファーに腰をかけた。まだ病み上がりの身だ。長時間直立不
動の状態はきつかった。
「相手がわからない以上なにもできん。式神に探らせたが、おそらく白空だとだけだった。
ほかに、何か情報、持ってないのか?」
 その言葉に、あの夢がよみがえった。そして、白空自身が言っていた言葉もよみがえる。
「不確かである事には違いないんですけど、夢を見ました」
「どんなだ?」
「灰色の野原に白髪の男が立ち尽くしている夢です。何度も殺してくれと。早く殺してく
れと訴えていました。あとは、白空と直接接触したとき、白空は自分自身に呼びかけるよ
うにものを言っていました。ただの気違いであればいいんですけどね、この男は俺に飲ま
れているのだよと、言ってました」
 会話の内容を覚えるぐらいは造作もないことだった。確かに、この言葉にはあの動揺し
た心でも何かが引っかかったのだ。
「この男は俺に飲まれているのだよ? ……二重人格か、それ以外、禍津霊か。こればか
りは本人にあってみないとわからんな。禍津霊ならば、祓えばどうにかなるだろう。……
問題はどこに潜伏しているかだな。リミットは二週間ぐらいだろう」
 机に肘を突いて片手で顔を支えてそっぽを向いた教官に月夜は目を細めた。目の前が白
っぽくかすんでいる。
「異界を全て探索するのは時間が掛かりすぎる。ピンポイントで狙える場所に心当たりは?」
「ありません。……」
「どうした?」
「…………。異界に潜伏しているとすれば、妖と人との争いを起こそうと何かをしてくる
はずです。俺が異界に行けば、夕香なら、見つけられるかもしれません。それに、二週間
の間に満月が着ます。そこで何かしらの動きが見られるのではないでしょうか」
 ふと頭によぎったのは今年の頭ぐらいに見た暦だった。まだ、こうなる事すらわからな
かった頃だなと微かに懐かしんで顔を引き締めた。
「……いわれてみればそうかも知れん。動きがあれば、すぐ連絡をやる。それまで体を休
め、万全の状態を作っておくように。部屋で待機しているといい」
「はい」
 頷いて立ち上がった。目眩がしたがそれを捻じ曲げて一礼を返してから部屋を出て自室
に戻った。
「……」
 いきなりの別れで、まだ、実感が湧いていないというのが本音だった。急に広く感じら
れる部屋を眺めて張っていた気を緩めた。
 がくんと膝がくだけた。目の前が暗く感じるのは気を失いかけているのではないのかと
思いつつも呆然と空っぽの部屋を見つめていた。
「何故夕香なんだ……?」
 その呟きは陰気が満ち、心なしか暗く見える部屋の中にむなしく響いた。



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